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SNAP Sendai はSNAP(Survivors Net Work of those Abused by Priests)聖職者による性虐待サバイバーのネットワーク(インターナショナルSNAP:本部はアメリカのワシントン)の傘下に2016年8月に日本で初めてのSNAPが誕生しました。

SNAP Sendaiは、国際SNAPの傘下にあります。
このサイトの管理者鈴木ハルミが2016年の7月にSNAPの創設者のBarbara Blaine氏にSkype会議によるサポートを受けて、日本初のSNAPは2016年8月3日に誕生しました。

​SNAPは聖職者による性虐待サバイバー(私たちは自分たちのことを被害者ではなくサバイバーと呼びます)、SNAPはサバイバーとサポーター(サバイバーと共に活動する支援者)とのネットワークです。

1.サバイバーの癒し・・・ピアサポートミーティング

2.サバイバーの保護(真実を公開し虐待をやめさせる)

3.捕食者(加害者)に優しい法律改革への活動

 

鈴木ハルミは1977年にカトリックの司祭により性虐待を受け、約40年悪夢の中を生きました。

聖職者による性虐待は、国際人道上の重大な犯罪です。私たちは、この重大な犯罪をやめさせるために活動しています。真実を公開し、捕食者と捕食者を擁護する組織の責任を求めます。

捕食者に優しい法律の改革を求めます。私たちはもう沈黙しません。私たちは無実です。

私たち一人一人のメンバーは、社会に影響を与える力を持っています。

あなたの新しい旅が始まります

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世界をより安全にするための違いを生む力を私たちは持っている。

2016年8月東北の仙台市に、日本最初のSNAPが誕生しました。あなたは勇気があります。あなたは一人ではありません。立ち上がって声を大にして叫びましょう。私たちは無実です。立ち上がり真実を話すことは、聖職者の性虐待をやめさせる効果があります。さらにより良い世界の実現のために世界に違いをもたらします。それが私たちの生きるための大きな目的とやりがいのあるボランティア活動です。
私達はお互いに支え合います。

ミーティングで仲間の話を聴くことは贈り物です。
毎月第1木曜日の19時〜20時30分 仙台市内にて、グループサポートミーティングを開催しています。是非ご参加ください。参加ご希望の方は、事前にメールまたはお電話でご連絡をお願い致します。追って詳細をお知らせ致します。

 

ホーム: 概要

あなたは一人ではありません

恥意識や罪悪感は私たちのものではありません。

SNAP は、聖職者による性虐待サバイバーとサポーターがひとつに集まるところです。

現在は日本国内のSNAPはSNAP Sendaiのみです。

SNAP Sendaiは国際SNAPの傘下に誕生した日本の非営利の任意団体です。


聖職者による性虐待は国際人道上の重大な犯罪です。被害者やサバイバーに責任はありません。恥意識や罪悪感は、我々のものではありません。

真実を公開することで聖職者による性虐待をやめさせ、世界をより安全にすることが出来るのです。私たちはそれぞれが世界に違いを生む力を持っています。SNAPは聖職者による性虐待サバイバーとサポーターのネットワークです。あなたはひとりではありません。まずは最初のステップとして、勇気を出してミーティングに参加してみてください。きっとあなたは癒され力づけられます。あなたは生きるに値する、素晴らしい存在です。
SNAP Sendai ミーティング毎月第1木曜日19時〜20時30分 仙台市青葉区五橋の公共福祉施設にてグループサポートミーティングを開催しています。是非ご参加ください。
まずは管理者にミーティング参加希望とご連絡ください。

mail:  japan@snapnetwork.org     

    SNAP  Japan local  leader & SNAP Sendai  Team leader : Harumi Suzuki                

ホーム: 活動動機

​Stand up! Speak out!

私たちの尊厳を取り戻そう

2016年8月に日本初のSNAPとしてスタートしたSNAP Sendaiは活動開始して4年目になりました。サバイバーの皆さまとサポーターの皆さまのミーティングへのお越しをお待ちしています。

毎月第1木曜日 19時〜20時30分仙台市青葉区五橋の公共福祉施設にて開催(聖職者は参加不可:ただし、聖職者であってもサバイバーの場合は参加できます。)

事前に管理者にご連絡をお願い致します。秘密は守られます。

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私たちは支え合って新しい旅路を共に歩む

Face BookやTwitterで発信することで、聖職者による性虐待の真実を公開し、社会をより安全なものに変えていくことが出来ます。

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私たちは無実です。

​team leader Harumi Suzuki's story

I was born in 1953 in Towa Town, Tome City, Miyagi Pref. I wanted to be a nurse, and soon after I graduated from junior high school I left my parents and entered an assistant nurse training center by the sea.

So I became homesick and went to a Protestant church. I was baptized when I was 16 and became a believer.

I fell in love with the church members and got pregnant before getting married.

The elders of the Protestant church accused us of misconduct. So we moved to the Catholic Church and raised a wedding at the Catholic Church. The presiding priest was a sincere, kindhearted, respectable person.

 

I gave birth to my eldest son in 1972. I spent only 21 days with my eldest son. On the 22nd day, my father-in-law and my mother-in-law raised my eldest son and I was not allowed to hold my eldest son. I could not even touch the eldest son's diaper.

I was sad and painful and wept every day.

I was betrayed by a colleague at work and was lonely.

I was unable to eat.

Two weeks later I went into the sea and soaked in the water to the knee to commit suicide, but finally I forgot my suicide for my beloved mother and children. The hospital director and general nursing director who ordered the hospital staff to do wrong and ordered concealment have already passed away.

Very few people know the existence of young nurses who fought to protect the 50,000 civilians of that time.

In 1974 I gave birth to my second son. From this time on, my husband began to provoke me from time to time.


In 1975, my mother-in-law became a cerebral aneurysm and performed surgery. I had to take care of my mother-in-law. I was pregnant but could not give birth. I suffered from guilt for having been banned in Catholicism. In 1977 I went to the church to consult with the newly appointed priest.
I was sexually abused by the priest when I went to church for my third consultation. It was only once, but my life was completely broken.

 

I took a Japanese nursing practice exam at a higher nursing school. I ranked eighth among 25885 people in Japan. I became a regular nurse and was envyed for the future. I was told from around me that I should be a doctor. I ordered an application form for Tohoku University School of Medicine. However, my alcoholism deteriorated and I gave up admission to the medical school.

 

It was painful for me to be in person. I divorced four times with three men.

 

I developed bipolar disorder nine years ago. My sealed memories deprived me of the power to live. I was constantly fighting with myself. I thought that silence was my cross. I swore to Jesus. I vowed to keep silence for as long as I had a life. I wanted to save investigators around the world, and I wanted to protect the believers in my beloved church. I prayed for the fear of being beaten by my husband or being scolded by my father-in-law. The only places I could rest were in the bathroom and in the pachinko parlor.

 

I finally saw the movie "Spotlight" released in April 2016 in Japan. So I knew the existence of a group called SNAP. I was alone in the world, a lonely life covered with various poisonings, but now it is different. I have friends all over the world and I am happy. I am innocent.

 

In Japan's current law, I am not likely to be relieved. But I was told by founder Barbara Blaine. Barbara told me the first time I started a SNAP Sendai meeting in Japan. "Harmi, you are already successful. You have the power to make a difference."


 
私は1953年に宮城県登米市東和町で5人姉妹の4女として生まれた。私は看護師になりたくて、中学校を卒業してすぐに親元を離れて海沿いの准看護師養成所に入学した。そこでホームシックになりプロテスタントの教会に通うようになった。

 

私は16才の時に洗礼を受けて信者になった。私は教会の信者さんと恋に落ちて結婚前に妊娠してしまった。プロテスタントの教会の長老は私たちを不品行だと非難した。そのため私たちはカトリック教会に移って、カトリック教会で結婚式を挙げた。司式した神父様は誠実で温厚な尊敬できる人だった。

 

私は1972年に長男を出産した。私は長男と21日だけ一緒に過ごした。22日目になると、義父と義母が長男を養育し、私は長男を抱くことを許されなかった。私は長男のおむつにさえ触らせてもらえなかった。私は悲しくてつらくて毎日泣いた

 

1973年に私は職場の不正を正そうとして失敗した。

私は「公務員の執行妨害であなたを逮捕する」と総婦長に毎日脅迫された。

私は食物を食べられなくなって2週間後に海で入水自殺を試みたが、私は最愛の私の母親と二人の子どものために生き抜くことを選択した。

当時の病院長と総婦長はすでに他界している。

当時の5万人の市民を保護するために戦った若い看護師の存在を知っている人はほとんどいない。

 

1974年に私は次男を出産した。この頃から夫は私に時々暴力をふるうようになった。


1975年に義母が脳動脈瘤になり手術をした。私は義母の介護をしなければならなかった。私は妊娠していたが産むことが出来なかった。私はカトリックで禁止されていた堕胎をしたことで罪の意識に苦しんだ。

 

1977年に私は新しく赴任した司祭に相談するため教会に行った。
3回目の相談に教会に行ったときに私は司祭により性的に虐待された。それはただの一回だけだったが、私の人生は完全に壊れた。私は高等看護学校の日本全国模擬試験を受けた。私は日本全国25885人中の8位の成績をおさめた。

 

私は正看護師となり将来を嘱望された。私は周りから、医者になるべきだと言われた。私は東北大学医学部の入学願書を取り寄せた。しかし、私のアルコホリズムが悪化して私は医学部への入学するのを諦めた。

 

私は人の中に居ることが苦痛だった。私は3人の男性と4回離婚した。

​私は5人子どもを産んだ。

 

私は9年前に、双極性障害を発症した。私の封印した記憶が私の生きる力を奪っていった。私は絶えず自分と戦っていた。沈黙することが、私の十字架だと思っていた。私はイエス様に誓った。命ある限り沈黙を守ることを誓った。私は世界中の求道者を救いたかったし、愛する教会の信者さん達を守りたかった。私は夫に殴られるか、または義理の父に罵倒される恐怖に怯えながら祈った。私が安心出来る場所は、浴室と、パチンコ屋の中だけだった。

 

私はついに、2016年4月に日本で公開された映画「スポットライト」を観た。そこで私はSNAPという団体の存在を知った。私は世界で、たった一人で様々な中毒にまみれて孤独な人生だったが、今は違う。世界中に仲間がいて、私は幸せだ。私は無実だ。

 

日本の今の法律では、私は救済されない可能性が高い。しかし私は創立者のバーバラ・Blaineに教えてもらいました。バーバラさんは私が初めて日本でSNAP Sendaiのミーティングを始める時、私に言いました。「ハルミ、あなたはすでに成功している。あなたは違いを生む力を持っている」

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